2012年9月21日金曜日

ダラムシャラという街


リシュケシュでの最後のご飯は、ローカルなカレー屋だった。

前日にもここを訪れ、美味しいことはすでに証明済みだ。


元々僕はあまり辛いのが得意ではない。
でも、嫌いでもない。

ただ、汗が尋常じゃない程溢れ出すのがイヤなだけだ。


僕はインドでカレーを頼む際、“Non Spicy”でお願いと注文する。
そうじゃないとインドカレーはなかなか辛い。


辛い物好きな人からしたら大した辛さではないのかもしれないが、僕にとっては“Non Spicy”はなくてはならない重要な合い言葉だ。


前日に、どんなカレーがあるのかとひとつひとつの鍋を覗き込んでいると、丁寧にも全てを少しずつ味見をさせてくれた。


ダリのような立派なヒゲを拵えたインド人の親切にお礼を言い、僕らは数あるカレーの中からトマトベースのカレーを選んだ。


これが大ヒットで、リシュケシュを去る前に食べなければと再び訪れたのだ。






カレーを綺麗に食べ終えたあと、僕らはバックパックを背負いバスターミナルへと向かった。
ここからはふたり旅だ。



バスは予定より少し遅れて走り出し、ダラムシャラへ向けてジェットコースターのように山道を走り抜ける。



舗装されていない曲がりくねった山道を、スピードを緩めることなく走る。
バスは上へ下へ、右へ左へ、乗せている人のことなどお構いなしだ。



走り出したのは16時過ぎだが、このバスは夜行バス。
この揺れの中で夜を明かさなくてはならない。


さすがインドだなと思いつつ、僕もさすがで途切れ途切れではあったがちゃっかりと眠りに落ちていた。



3回の休憩を挟み、朝6時前にはダラムシャラに着いた。
山に囲まれた街は真っ白な霧に覆われ、立体駐車場のようなバスターミナルは暗く寂しい雰囲気に包まれていた。



さて、まずは宿を探さなければ。
何より、寒い。



タイミング良く、韓国人の尼さんが僕らに声をかけてくれた。
瀬戸内寂聴そっくり尼さんだ。


お勧めの宿を教えてもらい、僕らはそこに宿泊しようと宿へ向かった。



宿は生憎の満室ではあったが、チェックアウトタイムには空室が出来るだろうとのことなので、荷物を預かってもらい部屋が空くまで街で朝食を採ったりしながら時間を潰すことにした。



街を歩く人たちを見ると、インドではない国に来たような感覚になる。
顔立ちが皆日本人に近いのだ。



標高2000mのこの街はダライ・ラマ14世がチベットから亡命してきた街で、チベットの亡命政権が置かれている。


多くのチベット人が暮らすこの街は、インドの他の街とは違った雰囲気に包まれているのだ。



朝食を済ませ、散歩などで時間を潰し、12時頃にやっと部屋を手にした。



その部屋はもちろん綺麗とは言い難いが、部屋のドアを開けるとオーシャンビューならぬ素晴らしいマウントビューで、なかなかの景色だった。



僕らは着替えを済ませると、すぐに街へと出掛けた。
お昼ご飯を済ませ、山道をただやみくもに歩いた。



チベット仏教の象徴である五色の旗(タルチョ)が至る所で目に入る。
経文が書かれた青・白・赤・緑・黄のタルチョが自由気ままに風に靡いている。







山道を彩るタルチョと共に多くのマニ車も見られる。
マニ車は円筒形をしていて、時計回りにマニ車を回すことによって回転させた数だけお経を唱えたことになる。





僕らはそんな山道をチベット人と共にマニ車を回しながら歩いた。
高徳なことをして、すごく贅沢なことをしてる気分になれるお散歩だった。



山道を2時間近く歩き続けると、思いもかけずにチベット寺院に出た。



やみくもに歩き出したとはいえ、ここが元々の目的地ではあった。
そんな偶然に嬉しくなり、それと同時に歩き回った疲れを一気に感じた。



目的の寺院自体はささっと拝観をし、すぐ近くにあったカフェに飲み物を求め駆け込んだ。



そこで30分くらい休むと、日がもう沈み始めていた。
肌寒くなった僕らは会計を済ませ、宿へと向かった。



その帰り道、Free Tibetのデモ隊と遭遇した。





彼らは、過激にデモをする訳でもなく、ただロウソクに火を灯しチベットの自由を願い静かに叫んでいた。







そのままチベット料理を食べて部屋に戻ると、一気に眠気に襲われ、風呂に入ることもなく深い眠りに落ちていた。



2012年9月19日水曜日

リシュケシュという街


今回の旅の道連れである“アカ”こと小島彩香と羽田空港で待ち合わせをした。


合流した僕らは、中国東方航空のカウンターでチェックインを済ませた。
チェックインの時間が遅かった為、隣り合った席を確保することが出来なかったのだが、結果としてこれがオモシロイことになったのだ。
詳細はまた後ほど。
 

その後、あまり時間がないにも関わらず僕らは最後の日本食を堪能すべく、豚カツ屋に入った。
目の前で揚げてくれた豚カツを「美味しい」という間もない程、猛スピードで口へと運び、僕らは店を後にした。



時間ギリギリで乗り込んだ飛行機は座席がひどく小さく、175cmの僕が座ると膝が前に座席に突っかかってしまう程であった。
こんなところに3時間も押しこめられるのかと考えただけでお尻が痛い気がしたが、機内食を食べるとあっという間に夢の中へ引きずり込まれてしまったいた。



今回の目的地はインドのデリーだが、トランジットの為に北京で乗り換えなくてはならない。



飛行機は僕らを北京虹橋空港へと送り届けた。


ここからがまた面倒くさい仕組みになっている。
次のフライトは北京からデリーへと向かう訳だが、空港が違う


僕らは北京虹橋空港から北京浦東空港へとバス移動をしなければならない。
羽田から成田へ移動するようなものだ。
中国の通貨も持っていないし、両替もしないとトランジットが出来ない。


なんとも面倒な乗り換えだ。



ちょっとしたトラブルと共に面倒なトランジットを経て、僕らはデリーに辿り着いた。



この時点で夜中の1時。市内に出て宿を探すのも面倒だったので、空港で野宿をすることにした。



そのとき、僕ら2人にもうひとり旅の道連れが加わった。
それがユウスケ。



彼は、北京に向かう飛行機の中でアカと隣り合っていたのだ。
そのときは特に会話もしていなかったが、デリーに着いたときに、「あ、あのときの!」といった形で旅の道連れに参加が決定した。



というのも、僕らの行き先であるリシュケシュと彼の行き先が一致したことから、一緒に行こうということになった。



3人で毛布を川の字に並べ、お互いの自己紹介などをしながら浅い眠りに就いた。

 



2時間ほどの睡眠の後、僕らはタクシーで街へと出た。



ニューデリーの駅へと向かい、リシュケシュ行きの列車を取ろうとしたが満席で断念。
バスで向かうということになり、バスターミナルへと向かった。



結果としてバスには乗ることが出来たが、ハリドワールでローカルバスに乗り換え、リシュケシュに辿り着いたのは夜8時。
日本から占めて36時間の大移動であった。食事をして、長旅の疲れをシャワーで洗い流すと、あっという間に眠りに落ちた。



翌朝からリシュケシュを散策し始めた。



リシュケシュはヨガのふるさとで、ガンジス河の上流にあたる街だ
バラナシの濁りに濁ったガンジス河とは違い、青く澄んだガンジス河が流れている。



この青く澄んだガンジス河が楽しみで、僕はリシュケシュを訪れたと言ってもいい。


だが、時期は雨期。
青く澄んだガンジス河がこの時期に存在する訳もなく、見慣れた茶色いガンジス河が流れていた。


確かにバラナシに比べればずっと綺麗なのだが、綺麗とは言い難い色であることに違いはなかった。





ただ、リシュケシュという街は個人的にはすごく好きな街だった。


ヨガの聖地なだけに、ヨガを目当てに多くの外国人観光客が集まる。
アシュラムでみっちりヨガの修行をする人もいる。



そもそも外国人観光客は僕らが行くようなところはどこも多い訳だが、リシュケシュはインド人観光客も多かった。


家族連れの観光客を多く見かける。
それが僕にとってはすごく面白かった。





インド人には「嘘つき」「詐欺」「ボッタクリ」というような言葉が付きまとう。
もちろんインド人全員ではない。



けれど、外国人観光客に対して法外な値段を押し付けてくるのは日常茶飯事だ。


それがイヤでインドを嫌う人も多いが、彼らは生きることに正直なだけだと僕は割り切っている。
もちろん煩わしく感じるときもあるのだが。
 


そんな中インド人観光客は、観光客なだけにみんな商売っ気がないものだから、ただの興味本位や親切で僕らに声をかけてくる。

一緒に写真を撮らないかとか、撮らせてくれとか、その帽子を貸してくれだとか。




悪意がなく僕らと仲良くなりたいだけなのがあからさまに分かるので、ただただ楽しい。


インド人観光客を除いても、リシュケシュという街はピースフルに感じる。

商売人たちもとくにしつこく声を掛けてくることはないし、法外な値段をふっかけることもない。



少し高いなと思うときにも、値下げに割とすんなり応じてくれる。旅をし易く、長期滞在してしまうような街だった。


 
リシュケシュには結果として3泊した。基本的に僕自身の旅のスタイルとしては、ひとつひとつの街でゆっくりしたい。



けれど、今回は3週間しか旅の期間がないのだ。



ラダックへ行くという根本的な目的の為に、次の街へ進まなければならない。



3日間遊びに遊んでリシュケシュを満喫した僕らは、旅の道連れとして巻き込んだユウスケとは別れを告げ、次の街へと向け出発した。




さぁ、次はダラムシャラだ。