今回の旅の道連れである“アカ”こと小島彩香と羽田空港で待ち合わせをした。
合流した僕らは、中国東方航空のカウンターでチェックインを済ませた。
チェックインの時間が遅かった為、隣り合った席を確保することが出来なかったのだが、結果としてこれがオモシロイことになったのだ。
詳細はまた後ほど。
チェックインの時間が遅かった為、隣り合った席を確保することが出来なかったのだが、結果としてこれがオモシロイことになったのだ。
詳細はまた後ほど。
その後、あまり時間がないにも関わらず僕らは最後の日本食を堪能すべく、豚カツ屋に入った。
目の前で揚げてくれた豚カツを「美味しい」という間もない程、猛スピードで口へと運び、僕らは店を後にした。
目の前で揚げてくれた豚カツを「美味しい」という間もない程、猛スピードで口へと運び、僕らは店を後にした。
時間ギリギリで乗り込んだ飛行機は座席がひどく小さく、175cmの僕が座ると膝が前に座席に突っかかってしまう程であった。
こんなところに3時間も押しこめられるのかと考えただけでお尻が痛い気がしたが、機内食を食べるとあっという間に夢の中へ引きずり込まれてしまったいた。
こんなところに3時間も押しこめられるのかと考えただけでお尻が痛い気がしたが、機内食を食べるとあっという間に夢の中へ引きずり込まれてしまったいた。
今回の目的地はインドのデリーだが、トランジットの為に北京で乗り換えなくてはならない。
飛行機は僕らを北京虹橋空港へと送り届けた。
ここからがまた面倒くさい仕組みになっている。
次のフライトは北京からデリーへと向かう訳だが、空港が違う。
僕らは北京虹橋空港から北京浦東空港へとバス移動をしなければならない。
羽田から成田へ移動するようなものだ。
中国の通貨も持っていないし、両替もしないとトランジットが出来ない。
なんとも面倒な乗り換えだ。
ここからがまた面倒くさい仕組みになっている。
次のフライトは北京からデリーへと向かう訳だが、空港が違う。
僕らは北京虹橋空港から北京浦東空港へとバス移動をしなければならない。
羽田から成田へ移動するようなものだ。
中国の通貨も持っていないし、両替もしないとトランジットが出来ない。
なんとも面倒な乗り換えだ。
ちょっとしたトラブルと共に面倒なトランジットを経て、僕らはデリーに辿り着いた。
この時点で夜中の1時。市内に出て宿を探すのも面倒だったので、空港で野宿をすることにした。
そのとき、僕ら2人にもうひとり旅の道連れが加わった。
それがユウスケ。
それがユウスケ。
彼は、北京に向かう飛行機の中でアカと隣り合っていたのだ。
そのときは特に会話もしていなかったが、デリーに着いたときに、「あ、あのときの!」といった形で旅の道連れに参加が決定した。
そのときは特に会話もしていなかったが、デリーに着いたときに、「あ、あのときの!」といった形で旅の道連れに参加が決定した。
というのも、僕らの行き先であるリシュケシュと彼の行き先が一致したことから、一緒に行こうということになった。
3人で毛布を川の字に並べ、お互いの自己紹介などをしながら浅い眠りに就いた。
ニューデリーの駅へと向かい、リシュケシュ行きの列車を取ろうとしたが満席で断念。
バスで向かうということになり、バスターミナルへと向かった。
バスで向かうということになり、バスターミナルへと向かった。
結果としてバスには乗ることが出来たが、ハリドワールでローカルバスに乗り換え、リシュケシュに辿り着いたのは夜8時。
日本から占めて36時間の大移動であった。食事をして、長旅の疲れをシャワーで洗い流すと、あっという間に眠りに落ちた。
日本から占めて36時間の大移動であった。食事をして、長旅の疲れをシャワーで洗い流すと、あっという間に眠りに落ちた。
翌朝からリシュケシュを散策し始めた。
リシュケシュはヨガのふるさとで、ガンジス河の上流にあたる街だ。
バラナシの濁りに濁ったガンジス河とは違い、青く澄んだガンジス河が流れている。
バラナシの濁りに濁ったガンジス河とは違い、青く澄んだガンジス河が流れている。
この青く澄んだガンジス河が楽しみで、僕はリシュケシュを訪れたと言ってもいい。
だが、時期は雨期。
青く澄んだガンジス河がこの時期に存在する訳もなく、見慣れた茶色いガンジス河が流れていた。
確かにバラナシに比べればずっと綺麗なのだが、綺麗とは言い難い色であることに違いはなかった。
だが、時期は雨期。
青く澄んだガンジス河がこの時期に存在する訳もなく、見慣れた茶色いガンジス河が流れていた。
確かにバラナシに比べればずっと綺麗なのだが、綺麗とは言い難い色であることに違いはなかった。
ただ、リシュケシュという街は個人的にはすごく好きな街だった。
ヨガの聖地なだけに、ヨガを目当てに多くの外国人観光客が集まる。
アシュラムでみっちりヨガの修行をする人もいる。
ヨガの聖地なだけに、ヨガを目当てに多くの外国人観光客が集まる。
アシュラムでみっちりヨガの修行をする人もいる。
そもそも外国人観光客は僕らが行くようなところはどこも多い訳だが、リシュケシュはインド人観光客も多かった。
家族連れの観光客を多く見かける。
それが僕にとってはすごく面白かった。
家族連れの観光客を多く見かける。
それが僕にとってはすごく面白かった。
インド人には「嘘つき」「詐欺」「ボッタクリ」というような言葉が付きまとう。
もちろんインド人全員ではない。
もちろんインド人全員ではない。
けれど、外国人観光客に対して法外な値段を押し付けてくるのは日常茶飯事だ。
それがイヤでインドを嫌う人も多いが、彼らは生きることに正直なだけだと僕は割り切っている。
もちろん煩わしく感じるときもあるのだが。
それがイヤでインドを嫌う人も多いが、彼らは生きることに正直なだけだと僕は割り切っている。
もちろん煩わしく感じるときもあるのだが。
そんな中インド人観光客は、観光客なだけにみんな商売っ気がないものだから、ただの興味本位や親切で僕らに声をかけてくる。
一緒に写真を撮らないかとか、撮らせてくれとか、その帽子を貸してくれだとか。
一緒に写真を撮らないかとか、撮らせてくれとか、その帽子を貸してくれだとか。
悪意がなく僕らと仲良くなりたいだけなのがあからさまに分かるので、ただただ楽しい。
インド人観光客を除いても、リシュケシュという街はピースフルに感じる。
商売人たちもとくにしつこく声を掛けてくることはないし、法外な値段をふっかけることもない。
インド人観光客を除いても、リシュケシュという街はピースフルに感じる。
商売人たちもとくにしつこく声を掛けてくることはないし、法外な値段をふっかけることもない。
少し高いなと思うときにも、値下げに割とすんなり応じてくれる。旅をし易く、長期滞在してしまうような街だった。
リシュケシュには結果として3泊した。基本的に僕自身の旅のスタイルとしては、ひとつひとつの街でゆっくりしたい。
けれど、今回は3週間しか旅の期間がないのだ。
ラダックへ行くという根本的な目的の為に、次の街へ進まなければならない。
3日間遊びに遊んでリシュケシュを満喫した僕らは、旅の道連れとして巻き込んだユウスケとは別れを告げ、次の街へと向け出発した。
3日間遊びに遊んでリシュケシュを満喫した僕らは、旅の道連れとして巻き込んだユウスケとは別れを告げ、次の街へと向け出発した。
さぁ、次はダラムシャラだ。
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