リシュケシュでの最後のご飯は、ローカルなカレー屋だった。
前日にもここを訪れ、美味しいことはすでに証明済みだ。
元々僕はあまり辛いのが得意ではない。
でも、嫌いでもない。
ただ、汗が尋常じゃない程溢れ出すのがイヤなだけだ。
僕はインドでカレーを頼む際、“Non Spicy”でお願いと注文する。
そうじゃないとインドカレーはなかなか辛い。
辛い物好きな人からしたら大した辛さではないのかもしれないが、僕にとっては“Non Spicy”はなくてはならない重要な合い言葉だ。
前日に、どんなカレーがあるのかとひとつひとつの鍋を覗き込んでいると、丁寧にも全てを少しずつ味見をさせてくれた。
ダリのような立派なヒゲを拵えたインド人の親切にお礼を言い、僕らは数あるカレーの中からトマトベースのカレーを選んだ。
これが大ヒットで、リシュケシュを去る前に食べなければと再び訪れたのだ。
カレーを綺麗に食べ終えたあと、僕らはバックパックを背負いバスターミナルへと向かった。
ここからはふたり旅だ。
バスは予定より少し遅れて走り出し、ダラムシャラへ向けてジェットコースターのように山道を走り抜ける。
舗装されていない曲がりくねった山道を、スピードを緩めることなく走る。
バスは上へ下へ、右へ左へ、乗せている人のことなどお構いなしだ。
走り出したのは16時過ぎだが、このバスは夜行バス。
この揺れの中で夜を明かさなくてはならない。
さすがインドだなと思いつつ、僕もさすがで途切れ途切れではあったがちゃっかりと眠りに落ちていた。
3回の休憩を挟み、朝6時前にはダラムシャラに着いた。
山に囲まれた街は真っ白な霧に覆われ、立体駐車場のようなバスターミナルは暗く寂しい雰囲気に包まれていた。
さて、まずは宿を探さなければ。
何より、寒い。
タイミング良く、韓国人の尼さんが僕らに声をかけてくれた。
瀬戸内寂聴そっくり尼さんだ。
お勧めの宿を教えてもらい、僕らはそこに宿泊しようと宿へ向かった。
宿は生憎の満室ではあったが、チェックアウトタイムには空室が出来るだろうとのことなので、荷物を預かってもらい部屋が空くまで街で朝食を採ったりしながら時間を潰すことにした。
街を歩く人たちを見ると、インドではない国に来たような感覚になる。
顔立ちが皆日本人に近いのだ。
標高2000mのこの街はダライ・ラマ14世がチベットから亡命してきた街で、チベットの亡命政権が置かれている。
多くのチベット人が暮らすこの街は、インドの他の街とは違った雰囲気に包まれているのだ。
朝食を済ませ、散歩などで時間を潰し、12時頃にやっと部屋を手にした。
その部屋はもちろん綺麗とは言い難いが、部屋のドアを開けるとオーシャンビューならぬ素晴らしいマウントビューで、なかなかの景色だった。
僕らは着替えを済ませると、すぐに街へと出掛けた。
お昼ご飯を済ませ、山道をただやみくもに歩いた。
チベット仏教の象徴である五色の旗(タルチョ)が至る所で目に入る。
経文が書かれた青・白・赤・緑・黄のタルチョが自由気ままに風に靡いている。
山道を彩るタルチョと共に多くのマニ車も見られる。
マニ車は円筒形をしていて、時計回りにマニ車を回すことによって回転させた数だけお経を唱えたことになる。
僕らはそんな山道をチベット人と共にマニ車を回しながら歩いた。
高徳なことをして、すごく贅沢なことをしてる気分になれるお散歩だった。
山道を2時間近く歩き続けると、思いもかけずにチベット寺院に出た。
やみくもに歩き出したとはいえ、ここが元々の目的地ではあった。
そんな偶然に嬉しくなり、それと同時に歩き回った疲れを一気に感じた。
目的の寺院自体はささっと拝観をし、すぐ近くにあったカフェに飲み物を求め駆け込んだ。
そこで30分くらい休むと、日がもう沈み始めていた。
肌寒くなった僕らは会計を済ませ、宿へと向かった。
その帰り道、Free Tibetのデモ隊と遭遇した。
彼らは、過激にデモをする訳でもなく、ただロウソクに火を灯しチベットの自由を願い静かに叫んでいた。
そのままチベット料理を食べて部屋に戻ると、一気に眠気に襲われ、風呂に入ることもなく深い眠りに落ちていた。
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