2013年9月26日木曜日

本場シシカバブー

 飛行機は濡れた滑走路に水しぶきを飛ばしながら降り立った。
僕らが降り立ったトルコは、分厚い雲に覆われていてパラパラと雨の降る国だった。



 まずは、宿泊先を探さなくてはならない。どのみち明日はまた空港に戻る。あまり空港からは離れたくない。




どうやらイスタンブールは旧市街と新市街で構成されているようだ。全く予備知識がなかった僕らはひとまず旧市街へと向かい、宿を探した。適当な安宿が見つかったので、その日はそこで決めた。ものすごく汚い宿だったが、どうせ1泊だけだ。
 


 トルコは思ったよりも寒かった。僕らは薄いダウンの上にモッズコートを着ている。首にもストールをぐるぐる巻きだ。それでも少し寒い。
トルコ人は僕らよりずっと薄着だから、僕らが寒がりなだけなのだろうか。



 トルコの街を散歩していると、やはり目に付くのはケバブ。ものっすごい美味そうだ。炙られた肉は肉汁を垂らしながらゆっくりと回ってその美味そうな肉の塊は、おっちゃんの逞しい腕に握られた長いナイフによってガリガリと削りとられていく。…じゅるり。



 早速注文してみる。旅の最初のひと口はこのケバブに託すことにした。じゅるり、じゅるり。僕らはひとつのケバブを交互にほうばった。


が、しかし、案外こんなものか。思ったほど美味しいものではない、と気付く。だってパッサパサではないか。
と、言いつつも僕らは懲りずに翌日もまた他のお店で食べることになるのだが…。だって見た目はおいしそうだからね…。



 翌日も飛行機までの時間に少し余裕があったので、モスクを見に行くことにした。
中に入るとそれはそれはとんでもなく綺麗だった。豪華絢爛というやつか。
 モスクを完全になめてた僕も、こりゃあいいやーと煌びやかな天井を見上げながら寝転がる。至福の時間だ。


 と、思ったのも束の間、そうでもない。
たしかに綺麗だ。とにかく綺麗だ。しかし、如何せん臭い。臭すぎる。モスクの床はすべてカーペットで覆われている。このカーペットが臭すぎる。足のニオイがすごいのだ。



 トルコ人然り、世界中の観光客の足のニオイが染み付いたカーペットはものすごいニオイがする。単一犯の仕業ではないので、これはコトバにするのはなかなか難しい。納豆臭いとか、いろいろあるけども、“納豆臭い”という表現だけでも数十種類は納豆の種類がある。“牛乳臭い”という表現も同じくだ。もちろん言うまでもないが、“ぞうきん臭い”や“生乾きのニオイ”というのもそうだ。そのひと言では済ませられないニオイがする。
 こするとニオイが変わる、という柔軟剤が流行っているが、このモスクのカーペットも叩くとニオイが変わる、気がする。吐きそうだ。



 綺麗な天井と、臭すぎるカーペットを十分に堪能した僕らは、モスクを後にした。あとは、現地の人と適当に遊んで時間をつぶすだけだ、僕らの得意分野である。




 僕らは旅に出るとき、いくつかネタを仕込んでから旅に出る。
今回はトルコのカッパドキアのためにひとつネタを仕込んできてあるのだが、トルコではもうひとつやりたいことがある。



 ゆずの歌に“シシカバブー”というタイトルの曲があるのだが、それをトルコ人に歌ってもらいたいというシンプルなもの。シシカバブーとは、トルコ料理のこと。肉の串焼きというと分かりやすい。トルコにいる間にその動画を撮りたかったのだ。





 早速仲良くなったトルコ人たちと撮影をして遊んでいたのだが、なんと本場トルコで“シシカバブー”が通じないということが発覚。トルコ人は“シシカバブー”というひと言を言うだけなのにだいぶ苦戦していた。どうやら、“シシキャバーブ”が正しい発音のようだ。



 しかし、こちらとしては本場トルコで“シシカバブー”を言ってもらいたかったので、そんなのおかまいなしで“シシカバブー”の発音のまま押し通させてもらうことにした。



 


そんなトルコでの寄り道は終わり、再び空港へと戻った。イラン行きの飛行機に乗り込み、僕らの旅はようやく当初のスタート地点に立てることとなった。


 さぁ、ここからが本当の意味で、旅のはじまりだ。


2013年9月25日水曜日

神様のお仕置き

 僕らは互いに顔を見合わせ、もう笑うしかなかった。
すべては適当に物事を進める僕らに対するお仕置きで、社会人になる前に神様に渇を入れられただけの話なのだ。



 2月18日、僕らは学生最後の旅に出るために成田へ向かった。荷造りは相変わらずギリギリまで終わらない。待ち合わせの時間をお互い少しずつ延ばし、さらに延ばし、さらに延ばしで、空港で待ち合わせたとき出発2時間前はもうとっくに過ぎていた。

 でも、僕らはその時間でも間に合うことを知っていた。いつもギリギリでなんとかなってきたからね。そんな慢心が今回の事件を引き起こす。



 僕らは当たり前のように大遅刻でチェックインカウンターへと向かった。行き先と時間を告げると、受付のお姉さんの顔は曇る。でも、出発まであと1時間もある。サクサク受付を済ませ搭乗口へ向かえば、まだまだ時間に余裕はある。
 しかし、そのお姉さんが発した言葉はNOだった。   ……え?
 


 結論から言うと、僕らは飛行機に乗ることが出来なかった。もちろん駄々をこねくりまわし、チェックインカウンターにへばりついて放さなかったが、NOYESに変わることはなかった。僕らは、旅に出ることすら出来ないことが決まった。



 もう笑うしかなかった。とはいえ、相方の小島は泣きそうなのだが(笑)。マヌケな僕らを見るに見かねたお姉さんが、追加料金で便を振り返ることが可能だと提案してくれた。僕らは迷わず首を縦に振り、翌日の便で成田を旅立つことに決めた。ありがとう、お姉さん。
 神様は僕らにちょっとしたお仕置きを用意していたわけだ。というか、当たり前の結果である。今までよく間に合っていたものだ。




 こうして、僕らの学生最後の長期旅行は始まった。行き先は中東のイランから始まり、トルコ、ギリシャ、イタリア、スペイン、モロッコと行く予定だ。しかし、航空券の変更に伴い、1泊目はトルコのイスタンブールで降りることとなった。その翌日イスタンブールからイランへと飛ぶ。つまり、飛行機に乗り遅れたことで2日も出遅れることとなった。




 成田のビジネスホテルでその日は泊まり、再び遅刻などしないよう早めに就寝。ま、結果として翌日もギリギリに搭乗することになるのだが(笑)。




 旅にトラブルは付き物だ。ただ、僕らの場合は回避出来て当たり前のものも多い。
今回のトラブルなんて普通の人なら回避して当たり前だ。
ただ、そんなトラブルが旅を面白くしていく。

 そんな言い訳をしながら、僕らは飛行機へと乗り込んだ。

2012年12月29日土曜日

ラプンツェルの旅〜ロイクラトンの夜〜


僕らは夜空がオレンジに埋め尽くされるという圧倒的感動体験を共有し、次の日からは思い思いに次の街へと旅立って行く。


リョーはインドへ向かう為にバンコクへ。
伊東はパンガン島へ。
しおりさんたちはパーイへ。
ユースケとエリは日本へ戻るために、バンコクへ。
僕とアカとサナは、みんなを見送ってからパーイへ。
母は、そんな全員を見送ったあと日本へ。



コームロイを見るという目的のために集まり、
またそれぞれの旅を続けて行く。


僕らはパーイで少し遊んだあと、またチェンマイへと戻ってくる。
『チェンマイ・イーペン祭』が3日後にあるので、それに参加するためだ。
クラトン(灯篭)を川に流す『ロイクラトン』と呼ばれるお祭りが全国各地で行われるのだが、チェンマイでは『イーペン祭』と呼ばれている。



僕らが集合して、空にコームロイを放ったお祭りは『イーペン・サンサーイ祭』と呼ばれるもので、僕らは幸運にも滞在中にふたつものお祭りに参加できるのだ。


このお祭りの違いが日本人にはあまり浸透していないらしく、認識違いが多い。
過去に祭りに訪れた旅人のブログなどを辿ると、たいぶややこしいことになっている。全てをコームロイ祭りと括ってしまっている人も多いようだ。


僕らはそのイーペン祭に向けて、再びチェンマイへと戻ってきた。
3時間ほどバスに揺られてチェンマイに着いたのは、空がオレンジ色に染まり始めたころだった。
僕らは自転車を借り、祭りが最も賑わうというピン川周辺を目指し、ペダルを漕ぎ始めた。


車道から溢れんばかりの車の間を縫うように走り続けると、パレードのような行列にぶち当たった。
この辺りかな、と僕らは自転車を止め、そこからは歩いて行くことに。



パレードが行われている通りに入ると、現地民や世界各国からの観光客で溢れかえっている。
ミスチェンマイだか何だか分からないが、綺麗な女の人たちが『Loy Krathong〜Yi-Peng Festival〜』と書かれた横断幕を持って笑顔で写真撮影に応えている。





数えきれないほどのシャッター音に対し、毎度毎度足を止め、美しい笑みをカメラに向けている。




ゆっくり進むパレードに僕らもシャッターを切りながら、前へ前へと進んでいくと、その先ではコームロイが不規則に空へと放たれていた。



現地民や観光客が、各々で購入したコームロイに火を灯し、膨らんだコームロイが次々に空へと放たれている。



コームロイを一斉に空に放つイーペン・サンサーイ祭とはまた違い、不規則に放たれるコームロイはゆっくりと空をオレンジに彩っていく。


さらに奥へ奥へと進むと、オレンジの数は一層多くなる。
屋台などの出店の数も増え始め、どうやら目的地のピン川周辺のようだ。



川に架かる橋の上は、多くの人で賑わっていた。
ロケット花火のようなものを空に放り投げたり、コームロイに火を灯しながら記念撮影をしたり。



橋の上は眩いオレンジの灯りと真っ白な閃光、爆発音と白い煙、それに伴い歓声や笑い声が溢れていた。
橋の上から川を見下ろすと、灯籠流しも行われている。
灯籠は、大小様々な土台の上に花が色とりどりにあしらわれている。 
川をオレンジの灯りがゆっくりと星のように流れている。



僕らは、コームロイをあげている現地の学生と一緒に写真を撮ったり、花火を少し分けてもらったりしながら、のんびりとした時間を過ごしていた。



せっかくだから僕らもコームロイをあげようという話になり、売っている場所を求め彷徨っていると、ドラえもんの形をしたコームロイを見つけた。
なんだか嬉しくなった僕は、通常のコームロイの5倍近くもする値段だったが、迷うことなくお金を手渡していた。



スキップに近い軽い足取りで、ふたりが待つ場所まで戻り、共に火を灯し空へと放った。
どうやらドラえもんのコームロイは珍しかったようで、僕らはハリウッドスターなのではないかというほどのカメラを向けられた。






僕らの手から放たれたドラえもんは、ゆっくりと360度見渡しながら夜空へと消えていった。


これで、僕らは味を占めた。
楽しい。もう一回やろう。



今度は、ひとりひとつずつ購入することにした。 
先ほどは気づかなかったが、ドラえもんにはカラーバリエーションがあるらしい。
青、ピンク、オレンジの3色を購入し、僕らは橋の上へと戻った。



記念写真を残すべく、各々のカメラを周りの人に預け、火を灯す。 
すると、先ほどの何倍もの人集りができ始めた。


僕らを取り囲むように人の数は増えて行き、ドラえもんが膨らんでいくに連れ、シャッターの数も増していく。
スターの気分を堪能しながら、たくさんのカメラに自然と笑顔になってしまう。


こっちを向いてくれ、とか、このカメラでも撮らせてくれ、という要望に応えている間に、ドラえもんは膨らむ余地を無くし、もうすでにパンパンだ。


熱気がドラえもん内から溢れ、持っている僕らも熱くて堪らない。

我慢の限界となり、せーので空に放つ。



パンパンに膨れ上がったドラえもんは、手が離れた瞬間、猛スピードで空へと駆け上って行った。


ドラえもんが空へと消えてしまうと、僕らを取り囲んでいたギャラリーもゆっくりと散っていく。


中には、「そのドラえもんはどこで買ったんだ!」とか、「ほら見ろ!こんなに上手く撮れてるぞ」と声をかけてくる人もいる。
その場に居合わせたというだけで、ほんのひとときの会話がうまれる。
幸せなことだ。



満足した僕らは次に、灯籠流しをするために川辺までおりることにした。
川の周辺は灯籠流しの人で、所狭しと人が行き来している。
その合間で様々な灯篭が売られている。
値段も様々で、大きさやあしらわれている花の量などによって値段が前後するようだった。


ドラえもんで奮発してしまった僕らは、一番シンプルで一番小さな灯篭を選んだ。




ゆっくりと人と人との間を進み、川へと降りて行く。
なんとか、3人並んで灯篭を流せるスペースを見つけ、風からライターの火を守りながら、順番に灯りを灯した。




川辺は少し川から高さがあり、綺麗に川に流すのはなかなか難しい。
川に落ちるか落ちないかのギリギリまで体を乗り出し、最後は軽く放り出すように灯篭を手放す。





バシャっという音と共に大きく水面を揺らし、その後ゆっくりと態勢を整えながら流れて行く。





僕らはひとりひとつ灯篭を買ったわけだが、アカの灯篭はロウソクの灯りの方から水面に着地し、一瞬にして灯篭という称号を失ったカタマリになっていた。大失敗。灯篭に託した祈りも虚しく、ただ笑うしかない状況だった。



僕らが川からメインの通りに戻っても相変わらず賑わいは続いている。
空に放たれるコームロイの数も相変わらずだ。



僕らは屋台で空腹を満たしながら自転車のところへと戻った。



そのあとも賑わうチェンマイの街を自転車で周遊しつつ、屋台で別腹を満たしたり、バーに寄ってビールで乾杯したり。
祭りの夜を満喫しながら宿へゆっくりと戻った。



宿へ戻ってもまだピン川周辺は賑わっているようで、遠い夜空には小さなオレンジの灯りがあたたかく寄り添い合っていた。

2012年12月8日土曜日

ラプンツェルの旅


僕は3年前、たくさんのオレンジ色の灯りが空に浮かんでいる写真を見た。
数え切れないほどのオレンジの灯りは、僕の心を震わせた。
その写真と出逢ったのが3年前。



それから2年後、僕はその灯りに再び出逢った。
映画館のスクリーンをオレンジ色に灯しながら、その灯りは揺らめいていた。
『塔の上のラプンツェル』という映画で、僕の心は再び強く震えた。



オレンジ色の灯りの正体は、ランタン。
日本でいう灯籠流しを、タイでは空に放つ。


薄い紙で出来たランタンに火を灯すと、熱気球となり空へとのぼっていく。
オレンジ色の灯りは一斉に空に放たれ、ひと言で言えば『美しい』、ただそのひと言ではあまりにも事足りない景色なのだ。


見たい、行きたい、というただ単純な想いだけが僕の頭を支配した。



僕はその3年越しの想いを実現するために、タイはチェンマイへと向かった。



この先待ち受けるであろう感動をひとりではなく多くの人と共有したかった僕は、相方と共に航空券を取り、他にも誘い合わせ、結果として8人の仲間で集合した。
待ち合わせ場所は、チェンマイ。



僕と相方のアカがチェンマイに着くと、空港で母と合流。
昨年僕はインドへ両親を連れ出した。そこで味を占めた母が、今回は単独参戦。
そして、無事合流。



市内へと向かい、400バーツの宿にチェックイン。
日本円にして1000円くらい。
3人で泊まる訳だから、十二分に安い。
時間も遅かったので、近くのバーにて乾杯。はじまりの乾杯だ。



翌朝は、夏にインドで出逢った仲間と待ち合わせ。
これもスムーズに成功。ユースケと、旅の道連れエリ。




あとは、FURUSATOの仲間である伊東とサナと待ち合わせ。
彼らを空港へと迎えに行き、無事に待ち合わせ完了。



ユースケたちが待つ宿へと戻ると、アカが以前バンコクで出逢っていたリョーと遭遇。
偶然の再会で仲間は8人となった。




宿を泊まり合わせた仲間も加わり、12人の大所帯となり、ミニバンをチャーター。
オレンジ色の灯りを目指し、僕らの車は走り始めた。




目的地はメージョー大学。
車を少し走らせるとあちこちで夜空にオレンジ色の灯りがのぼり始めた。
その灯りを僕らは車で追いかける。
空に放つ時間はまだ一時間も先だ。
興奮と感動と、ほんの少しの焦る気持ちの中車は進む。




ドライバーのおっちゃんもだいぶ道を迷っているようで僕らの焦る気持ちは加速する。
夜空を彩るオレンジの数は少しずつ数を増していた。



そんなとき不安そうに運転していたドライバーが突然声を上げた。
「I got it!!」



よかった。
目的地に辿り着けるようだ。




僕らは胸を撫で下ろし、窓の外の無数のオレンジを眺め、期待に胸を膨らませた。




同じようにメージョー大学へ向かう車が増え始め、渋滞となり再び僕らは焦りを感じ始めた。
警察の誘導に従い、右へ左へ進んで行く。
路肩には所狭しと車が止められている。
その間を縫うように進み、やっとこさ見つけたスペースで僕らの車も停車した。
ここからは歩いて進むようだ。




僕らは待ち合わせ時間を決め、目的地と思われる方向へと歩き始めた。
蒸し暑い空気の中を、12人が早歩きで進んで行く。



10分ほど歩くと、屋台が並ぶスペースへと辿り着いた。
そこはさきほど見かけた数えきれないほどの路駐車の持ち主であろう人たちでゴッタ返していた。
あちこちで自由にコームロイ(熱気球)を空に放っている人たちがいる。
いよいよ目的地も近い。



僕は、遠巻きにコームロイが一斉にあがるところを見たいんじゃない。
真下から360度のオレンジに包まれたい。
そのためには、一斉にコームロイをあげる場所まで辿り着かなくてはならなかった




屋台が並ぶスペースから、人混みを掻き分けながら10分ほど進むと、その会場であろう場所にようやく辿り着いた。
よかった。間に合った。




しかし、人が多すぎて一歩も前に進むことが出来ない。
このままでは360度オレンジ天国の夢が叶うことはない。
僕らはどうしても前に進みたかった。




そんなとき目の前に強引に中へと押し入って行くタイ人を見つけた
僕らはそのタイ人が作り上げたほんの少しの空間に続いた。




道が少し開けたおかげで、内側に入り込むことが出来た僕らは、そのまま隙間を縫う様に進み、なんとか真ん中の方まで辿り着くことが出来た。
夢見た光景がすぐそばまで迫っていた。



それにしてもすごい人の数だ。
この人たちが一斉に空にコームロイを放つ。
想像しただけで、全身の毛穴が音を立てた。



さらに中央の方では僧侶がロウソクを持ち、なにか儀式のようなものを行っていたが、詳しくは見えなかった。
12人いた仲間も、はぐれて6人になっていた。



コームロイを空に放つ時間が近づいていき、今まで地面に座っていた人たちが一斉に立ち上がる。
コームロイに火を灯し始め、熱気球として大きく膨らみ始める。
コームロイの薄い紙を通して、あちこちでオレンジ色が揺らめいている。






フライングして空に放っているコームロイがいくつかある中、多くの人が辛抱強く合図のときを待っていた。
そして、スピーカーから流れる合図の音と共に、みんなの手からコームロイが空へと旅立っていく。




夜空にオレンジが広がる。

歓声があがる。

無数のシャッター音がする。







本当に数えきれないほどのオレンジが空にのぼっていく。
ここからは、もう何もコトバに出来ない。

圧巻。それだけ。







感動しているヒマもないくらいに、感動してしまった。
泣きそうになった僕の瞳は涙を流すことを諦めて、夜空に浮かぶ灯りを追いかけた。




母は泣きながら笑ってた。

リョーは夢中でシャッターを切り続けた。

伊東は写真を撮るのをやめて、自分の眼でとことん見ることにした。

アカは動画に収めようとしてたけど、カメラの先にあるオレンジ色を必死で目で追っていた。




みんなが口を揃えて言っていたのは『言葉に出来ない』という最大限の表現だった。





写真では伝えきれない。

動画でも伝えきれない。

言葉でも伝えられない。




そんな光景だった。





夜空に吹く風がコームロイをひとつの方角に運んで行く。
そのコームロイひとつひとつが寄り添うように大きな流れを作っていく。




星のようにも見える小ささまで空高くのぼっていき、ひとつの流れとなったコームロイは、オレンジ色の天の川みたいだった。







僕らは開始から一時間もその場から離れることができなかった。
みんなで感動を分かち合った記念に写真を撮って遊んで。
そんな時間は一瞬だった。



                                                            photo by Yusuke Abe




僕らは感動覚めやらぬまま、通勤ラッシュのような人混みの中を戻っていった。
来た道を戻るだけなのに、人の多さからまったく前に進めない。
やっとの想いで車へと戻り、乗り込んだ瞬間にスコールに打たれた。




圧倒的感動と、スコールから逃れられた幸運で、僕らは『満足』という言葉では足りない満足感に満ちた状態で宿へと戻った。




旅のはじまりにして、三年越しの幸福体験をしてしまった。





さて、残り9日間。
微笑みの国は、僕にどんな景色を見せてくれるのだろうか。