寝不足の目を擦り、大慌てでバックパックに今回の荷物を詰め込んだ。いつも通り、きっと忘れ物だらけだ。いま空港に向かうバスの中でこの文章を書いているのだが、さっそく腕時計をしていないことに気付く。ワイヤレスキーボードの充電器も忘れた。使えなくなるのは時間の問題だ。そんなこんなの旅だけど、パスパートと財布さえあればなんだかんだどうにかなる。前は財布は持ったけど、お金を忘れた。それに比べれば、何もかも対したことじゃない。さて、前置きが長かったのでこの辺で。
みっつ目は、『ラダック』にどうしても行きたいから。僕は初めてインドに行った時にインドに関してかなりの無知だった。インドと言えば、ガンジス河、マザーテレサ、ガンジー、カースト制度、タージマハル、そのくらいだろうか。ダライ・ラマが何をしている人なのかとか、隣の国が何なのかも知らなかった。
そんな僕は初めてのインドの行ったとき、様々なインドを見てとことん惹き込まれた。自分で見た景色や感じた音やにおい以外に、出逢うたくさんの旅人からインドに限らず世界中の話を聞いた。その中でも僕はラダックに感じるものがあった。写真に惹き込まれ、『行く!』とただそれだけを思った。
そして、1年半後にチャンスが訪れた。インドのホーリー祭に合わせて旅をすることを決め、そのあと念願のラダックに向かう計画を立てた。期間はたっぷり2ヶ月取った。インドをゆっくり旅しながら、ホーリーを楽しんで、ネパールやバングラディシュにも寄りつつ、最後の最後でラダックへ向かおうという計画だった。
インド旅は、今回で4回目だ。初めて海外ひとり旅をインドで経験し、2回目のインドは仲間たちと待ち合わせをして遊びに遊んだ。3回目のインドでは、両親を引き連れバックパッカーデビューを提供した。どのインドも最高だった。周りから見れば、何でそんなにインドばかり行くのか、といったところだろうか。これには3つの理由がある。
ひとつ目としては、『生きている感じ』がするから。これは僕の完全なる主観だが、インドに存在する全ては日本で存在しない全てだと考えている。ややこしいよね笑。すごく分かりやすくいえば、全てが刺激的と言った感じかな笑。生と死が背中合わせにあるインドで飄々と生きているインド人たちは僕の五感を全開にしてくれる。それが気持ちいい。それが生きているということ、な気がする。だから、インドが好きだ。これがひとつ目。
ふたつ目は、『また帰ってきたのか!』って言ってくれるのが嬉しいから。これはインドに限らずそうなのだが、旅する毎に帰る場所が増えることが僕はたまらなく嬉しい。また来いよって言ってくれるから、僕は何度でも行く。
みっつ目は、『ラダック』にどうしても行きたいから。僕は初めてインドに行った時にインドに関してかなりの無知だった。インドと言えば、ガンジス河、マザーテレサ、ガンジー、カースト制度、タージマハル、そのくらいだろうか。ダライ・ラマが何をしている人なのかとか、隣の国が何なのかも知らなかった。
そんな僕は初めてのインドの行ったとき、様々なインドを見てとことん惹き込まれた。自分で見た景色や感じた音やにおい以外に、出逢うたくさんの旅人からインドに限らず世界中の話を聞いた。その中でも僕はラダックに感じるものがあった。写真に惹き込まれ、『行く!』とただそれだけを思った。
そして、1年半後にチャンスが訪れた。インドのホーリー祭に合わせて旅をすることを決め、そのあと念願のラダックに向かう計画を立てた。期間はたっぷり2ヶ月取った。インドをゆっくり旅しながら、ホーリーを楽しんで、ネパールやバングラディシュにも寄りつつ、最後の最後でラダックへ向かおうという計画だった。
しかし結論から言うと、僕はラダックへは行かなかった。いや、行かなかった、の方が正しい。
2月の中旬から始めた旅もひと月が過ぎようとしていた頃、僕はネパールのポカラにいた。このあと、僕は再びインドへ戻り、ホーリーに参加してから、ラダックへとまた北上する予定だった。しかし、そこで事件は起こる。3月11日、東日本大震災だ。僕はこのことをポカラのネットカフェで知った。正直、動揺していて詳しいことは覚えていないが、次の日には日本に戻ろうと飛行機を手配していた。僕には、念願のラダックもホーリーもその時は何も魅力のないものに感じた。楽しかった旅が一瞬で色褪せ、僕は旅に終わりを告げた。
それからもずっとラダックへの想いは消えなかった。そして、今回の旅へと繋がる。ラダックに行くのに、ここまで遠回りしている人はまずいないだろう。行きたい人は、あっさりと行けてしまう。でも僕はいつもタイミングが合わなかった。こうして4回目のインド旅が始まった。