こんばんみ*
1年降りに歯医者に行き、
親不知が4本も生えていたことを知りました(・ω・)
前回は、
インドに呼ばれるということを書きました。
僕はインドを好きになって、
旅を好きになった。
そして、僕はインドのひとり旅を終えて、
FURUSATOという団体を創造したのね。
今では、旅に恋した仲間や
出逢いや縁が繋いでくれた仲間が集ってる。
そんな僕らは世界で待ち合わせをする。
今回は
“世界で待ち合わせする”楽しさを書きたいなと思って、
ブログを開いている。なう。
さて、はじめよう*
僕は、インドで出逢ったクルクル頭の森川と
FURUSATOというコミュニティを思い描いた。
↑ ↑
こいつだ笑。
僕は森川とインドで出逢い、
たくさんの話をした。
今では何を話したかは覚えていない笑。
けど、日本でもまた会う約束をした。
そうして、僕らのFURUSATOは出来た。
そして半年間、
様々なことに挑戦した。
失敗ばっかりだった。
でも、僕らはまた旅へ繰り出す。
行き先は東南アジア。
僕と森川は別々に出発した。
そして、カオサンで待ち合わせた。
携帯も繋がらない、
待ち合わせ場所も時間も適当、
何より、森川がテキトウ。
なんとなく決めた時間、場所、
曖昧な約束のまま僕らは待ち合わせが出来た。
今日18時に新宿で待ち合わせね〜と言って、
お互いうまい具合に新宿の南口辺りで出逢えた!
と言ったところだろうか。
いや、紀伊国屋で涼んでいるところで遭遇、
ってなくらいの感動だろうか。
とにかく、それくらい海外での待ち合わせは盛り上がるものだった。
↑ ↑
オカマか!
しかし、その次の日に、
森川は一緒に来ていたえりごんとどっか違う街へ消えていた。
『ゆひさん、荷物頼みます!』
というテキトウ過ぎる書き置きだけ残して。
つまり、森川たちはバックパックを置いて
1泊2日程の簡単な観光に出掛けていったのである。
ばかやろう。
つまり、つまり、
森川のバックのせいで僕は移動することが出来なくなった。
ばかやろう。
あのクルクルめ。
僕のベッドの上には
自分のバックパックとふたりのバックパックが置いてある状態だ。
せまい。
せますぎる。
と、いうことで
森川たちのバックパックは放置することにした。
こうして、僕はひとりでバンコクから旅立った訳であーる。
ヒッチハイクをしたり、
タイのおっちゃんと5次会まで飲んだり、
そんな気ままな数日間を終えて、僕はバンコクへ戻った。
森川のアホくるくる頭はもはやどうでもいいのだが(笑)、
次はFURUSATOの仲間の可奈がバンコクへ到着する。
初のひとり旅をしながらやってくる可奈と
待ち合わせる約束があった。
僕はこの旅で2度目の待ち合わせが楽しみでならなかった。
可奈はなんとか僕との待ち合わせのところまで辿り着いた。
僕は楽しみでならなかったが、
可奈は不安でならなかったみたいだ。笑。
そんな可奈を迎え入れ、
そのときの旅は始まった。
つまり、ひとり旅のようで
ひとり旅ではない。
世界で待ち合わせをして
共に旅を始める。
その面白さに少し気付いたのがこの旅だった。
森川たちともカンボジアのプノンペンで再会をした。
このときは偶然だったから、
感動もまた格別だった。
そのあとは
共に、カンボジア、ベトナム、ラオスと回った。
お互いの帰国日もバラバラ。
僕らはラオスのルアンバパーンで別れて、
また各々の旅を続けた。
これが2010年の春の出来事。
そして、
その年の夏に
僕らはまた東南アジアへと向かった。
そのときの旅はFURUSATOの仲間でカンボジアで落ち合う約束を
なんとなーく取り決めて、旅へと臨んだ。
僕はビニールパッカーのみつると共に日本を出た。
ビニールパッカーというのは、
世界広しと言えども、みつるくらいなんではないだろうか。
普通はバックパッカーだ。
バックパックを背負って旅をするから。
でも、みつはビニール袋だけ笑。
そこに、コンタクトレンズと小説が1冊。
それだけ。
そんな訳の分からない旅のスタイルなのだ。
そのあと、バンコクにて
これまた、またまた初海外のまりりん合流!
まりりんは僕らより数時間早い便だったから
空港で待ち合わせをしていた訳だけど、
『空港で待ってるね!』という簡単すぎるメッセージだけ残し
日本を旅立って行った。
“ 空港で ” っていうアバウトな待ち合わせで
会える訳がない!
と、いうことでもちろん会えませんでした笑。
予定より1日半くらい遅れて
僕らの寝泊まりする宿になんとかまりりん登場。
まりりんの旅は
そんなところから始まりました。
そのあとは、あっきー!
あっきーもバンコクで合流。
テキトウな待ち合わせをしてたせいで
全然会えないところだったけど、
なんとか合流。
あっきーは僕らよりずっと先に旅に出ていて、
僕らがバンコク入りしたところに戻ってきた形。
そこからみんな一度バラバラになった。
僕とあっきーは
タオ島へタイビングに。
みつるとまりりんは
ケイちゃんと合流し、パタヤへ。
おじいさんは芝刈りに。
おばあさんは洗濯へ。
そして、僕とあっきーがバンコクへ戻ったところで
噂のクルクル森川が合流。
そこから僕らはカンボジアへと向かった。
シェムリアップに着き、
みんなと再会。
僕とあっきーはケイちゃんとはまだ合流出来てなかったし、
みつるたちも森川とは合流出来てなかったので、
このときに盛り上がること、盛り上がること。
ギターを弾いてみんなで歌い、
ポイに火をつけてヘタクソなファイヤーダンス。
世界で待ち合わせすることの楽しさを再確認した。
そのあとプノンペンへ移動し、
そこで可奈とも合流。
FURUSATOとしてプノンペンで活動をして、
それが失敗に終わったりもして。
あとはひたすら遊んで、
ひたすら何もしないで。
そんな数日間を過ごして
僕らはまた別々に旅を続ける。
僕はあっきーと一緒にバンコクへと戻った。
あっきーとはバンコクで別れ
僕はひとり、ロッブリーへ。
エイズホスピタルがある街。
そこで僕はとことん落ち込んだ。
落ち込みに落ち込んで、
なんだかこのまま旅を終えたくなかった。
お金も残り少ないし、
移動するお金なんて正直もうなかったけど、
食費を諦めて、僕はラオスへと向かった。
そこで、ケイちゃんと再会。
やっぱり再会パワーというか、
世界で待ち合わせする面白さというか、
僕はすっかり落ち込むのを忘れていた。
ラオス人たちにお酒を飲まされすぎて、
べろんべろんで眠っている間にケイちゃんは日本へと帰っていた。
そんな寂しい別れも笑。
ラオスからタイへと帰る途中に、
いつもギリギリのタイミングで会えなかった伊東と偶然会うことも出来た。
バンコクへ戻り、
そこでも、旅中待ち合わせがうまくいかなかった
みどりとつぐみんとも落ち合うことが出来た。
結局、このときの旅で
僕はFURUSATOの仲間と9人待ち合わせることが出来た。
これで、僕は完全に味をしめた。
翌年の春、
僕はまたインドから招待状が届いた。
FURUSATOの仲間達にも届いたみたいで、
多くの仲間がインドへと向かった。
森川の行き先はインドではなかったけど、
こうして、空港で落ち合ってから旅がスタートした。
まずはバンコクへ行き、
みどり、こじま、ゆーり、さなの4人と落ち合った。
この時点でもうテンションは上がりっ放しだった訳だけど、
この4人を引き連れてインドに足を踏み入れた瞬間、
僕のテンションはもう振り切れた。笑
2度目のインドでも、
全てが楽しくて、全てに一喜一憂した。
最初は僕を含め、
この5人でインド旅がスタート。
ジャイサルメールへ行き、
そこで数日過ごした後に、
僕は先にバラナシへと向かった。
可奈とケイちゃんがバラナシで待っていたからだ。
僕はバラナシに辿り着くと
今度はケイちゃんと可奈のテンションが振り切れる。笑
ギターを弾き、歌い、
そのままガンジス河へ飛び込む。
世界で待ち合わせることの楽しさったら
もう、大変なことだ。
大事なことだから、もう一度。
世界で待ち合わせることの楽しさったら
もう、大変なことだ。
そこへインド人に騙されボラレ続たサンボが
泣きながら合流。
これまた盛り上がる。
ジャイサルメールで別れた4人も合流。
これで今回の待ち合わせする仲間たち7人が全員揃った。
世界で待ち合わせをすることは、
思ってるより難しくない。
けど、簡単でもない。
だからこそ、
テンションが振り切れるのだろうし、
旅によりいっそう色を付けてくれる。
僕はひとり旅に憧れて世界へ飛び出したけど、
今はひとり旅なんて好きでも何でもない。
それは、みんながいた方が楽しいから。
僕は、世界で待ち合わせすることに味をしめて
もう2度とひとり旅はしないんだろうなって思う。
ひとり旅もたくさんいいところはあるけれど、
移動時間とか死んでしまいそうなくらいつまらない。
でも、誰かと待ち合わせ出来れば
そこからの移動時間は何時間だって問題ない。
そんな色を付けてくれるのが
“ 世界で待ち合わせする ” ということ。
だと、思う。
僕は、みんなと出逢って
旅が100倍楽しくなったし、
そんな僕らを見て、FURUSATOの仲間になってくれる人もいるし。
僕の周りに溢れている出逢いと縁こそ、
僕にとっては旅の大切な意味なのかもしれない。
そんなことも思ったりするのだ。
だから、FURUSATOの仲間に限らず、
僕と世界で待ち合わせをしようよ。
きっと何倍も楽しい旅になる。
と、思うよ?てへ♡