2012年9月26日水曜日

デリーからバラナシへ


デリーから乗り込んだ列車は出発時刻になると、溢れんばかりのインド人を乗せて走り出した。



インドの列車は階級分けがされているのだが、僕らが乗り込んだのは下から2番目のクラスの車両にあたる。
3段ベッドのエアコンなしだ。



車両の階級が上がるごとにシーツが付いていたり、1等の車両ともなれば個室になり、食事や飲み物のサービスまで付く。



エアコンの有無によって値段が2倍以上変わってくるのだが、僕としてはエアコンなしの方が過ごし易い。
インドのエアコンはここぞとばかりに冷やし込んでいるで、寒くて堪らない。




ないのはないので列車が停車しているときなどは蒸し暑くて堪らないのだが、走り出せばすぐにそれは解消される。
料金の面を考えても、エアコンは必要ないのだ。




1番下のクラスも実はそう悪くない。
座席は木で出来ていて長時間座ているにはなかなか厳しいのだが、その車両には“特等席”がある。
“荷物棚”がそれだ。



列車が到着するや否や、大勢のインド人がその荷物棚を目指して列車に勢い良く乗り込む。
予約不要のこの車両は、ぎゅうぎゅう詰めで固い座席に座るよりも荷物棚で荷物の空いたスペースを利用して手足を伸ばして座ったり、場合によっては寝転がることも出来るから人気なのだ。


以前、ジャイサルメールに行った際にはこのように荷物棚を利用して15時間の列車移動をした。




しかし、このクラスの悪いところは、場所取り合戦に敗れると“立ち”で移動をしなくてはならないところだ。
バラナシまでは16時間。
そんな無謀な戦いは出来る訳もなかった。僕らは無難に寝台の車両を選んだ。




こうして乗り込んだ今回の列車だが、チケットを確保するのが大変だった。
前後2日くらいの列車を片っ端から探してやっと見つけた空席だった。




いざその列車に乗ってみると、座席数をはるかに超えるインド人で車内は溢れ返っていた。



そしてインド人の列車移動と言えば、家族連れが毛布や着替えなどを詰め込んだ大きな荷物を持ち込んでいる。
旅行だか引っ越しだか分からないほどの荷物を持ち込んでいるインド人が本当に多いのだ。




そして今回運が悪いことに、僕らの座席の真ん中に、次々と荷物が運び込まれてくる。
スーツケースにキャリーバッグに、布団に毛布に、アレにコレに。




ひとつの席に5、6人座るのなんて当たり前といったような混沌とした車両だった。
車掌も何度も僕らの座席付近に現れ、おまえの席はここじゃない、おまえもここじゃない、おまえもだ、といったように車掌に注意され移動してはまた戻ってくるインド人が絶えなかった。
そんなことを6時間程続けると、大勢いたインド人たちはどこかの駅でみな降りて行った。




ようやく静かなときが訪れ、僕らは自分のシートで眠る準備を始めた。
本を開き、眠くなるのをゆっくりと待つ。




しかし、下のシートのインド人が僕らにお構いなしで電気のスイッチを下に下げた。もう眠るしかないようだ。
目を閉じると、今までの旅の疲れからか一瞬で眠りに落ちた。




翌朝、僕らは慌てて目を覚ました。
下の2段に寝ていた老夫婦がいなくなっていたのだ。



実は、列車に乗り込む前に名簿のようなものが車両に貼られていて、それで下の老夫婦が僕らと同じバラナシ下車であることを確認していた。



日本の電車と違って、インドの列車はどこの駅にいま停車しているのかなんてインド人に聞かない限り分からない。



僕らは、老夫婦がいなくなっていることに慌てた。
飛び起きた勢いのまま近くにいたインド人に「ここはバラナシか?」と尋ねると、「そうだ」という答えが返ってきた。



その答えを聞いた僕らは大急ぎで荷物を引きずり降ろし、列車から飛び降りた。
僕らが降りると間もなく列車はゆっくりと走り出した。
どうやら、バラナシで無事降りられたみたいだ。




僕ら胸を撫で下ろし、バックパックを再びしっかりと担ぎ直してから出口へと歩き出した。




駅を出ると、リキシャの運転手たちが次々に声をかけてくる。
僕らは値段交渉をしながらあくまでも歩き続ける。
駅をすっかり遠ざかったところで、ひとりの運転手と値段交渉がまとまり、リキシャへと乗り込んだ。







僕らが今回バラナシへ来たのは、待ち合わせのためだった。




1年半前にバンコクで出逢い、それ以来東京に帰ってからも遊ぶ仲間との待ち合わせだ。
“キャタ”こと片嶌悠喜は、大学を休学して世界を放浪している。
その途中でバラナシで待ち合わせをする約束をしたのだ。




待ち合わせ場所である宿でキャタはもう2日ほど前から待っているはずだ。
僕らは宿に着きチェックインを済ませると、キャタの部屋番号を聞き突撃した。
寝起きのキャタは状況を飲み込むのに時間がかかったようだったが、久しぶりの再会に僕らはひとまず握手をした。



シャワーを浴び、洗濯を済ませ、3人で食事へと出掛けた。
他愛もない話をして、キャタのインド散髪を見届けて、ボートに乗ったり観光っぽいこともして。






大はしゃぎする訳でもないけど、久しぶりに会う仲間とのんびりなんとなく過ごす1日は楽しいものだった。



夕飯も同じように3人で出掛け、そのあとはお昼に知り合った仲間たちとお酒を飲みに行った。



僕は久しぶりの冷たいビールで酔っぱらった訳でもないのに、すっかり気持ちよくなっていた。
なんだかこの夜はずっと喋りっぱなしだった気がするなぁ。



そんな夜だった。


2012年9月22日土曜日

デリーという街


デリーの空港を一歩外に出ると、蒸し返すような熱気に襲われた。
あぁ、もうレーでの日々は終わったのだ、と一瞬で汗が吹き出した身体を通じて感じた。



空港で簡単な食事を済ませて、デリーの市街地へと向かう。
今夜はデリーで一泊して、明日の夜行でバラナシへと向かう計画なのだ。



今回の旅も残るところあと6日。
旅のオワリは、すぐそこまで迫っていた。



メインバザールに着くと、さっそくと言わんばかりに宿の客引きが声をかけてくる。
その客引きをうまく断ったり、うまく値下げ交渉をしたりしながら泊まる宿を決めていく。


最初にのぞいた宿でそのまま決めようかと思ったが、ちょっとしたトラブルから交渉決裂。
警察を呼ぶぞ!という事態になったが、こちらは何も悪くない。
あぁぜひ呼んでくれ、という僕の態度に相手も弱腰になったようで、電話をするフリをして持ち上げた受話器を力なく降ろした。



僕らはその宿とは別れを告げ、客引きの案内により次の宿で宿泊を決めた。



そこは偶然にも昨年も利用していた宿で、割と悪くはない宿だった覚えがある。
最初からここにしていれば良かったなと思いつつ、荷物を部屋まで運びチェックインを済ませた。



僕らは空腹を満たす為に、デリーではいつも必ず行くカレー屋へと向かった。



これは僕の持論なのだが、インドカレーはローカル食堂に限る。
高いレストランはいまいち美味しい気がしない。
インドではツアーでそういうレストランに寄るように組み込まれている。
だから、高くても儲かるし、定期的にお客さんが来る仕組みなのだ。



それに比べインド人で賑わうローカル食堂はまず間違いなく美味しい。
衛生面では清潔とは言い難い店ばかりだが、それでも僕はレストランの100倍美味いと思っている。
もちろんレストランでも美味いところはたくさんあるのだが。



その上で、デリーのローカルなカレー屋は僕が以前から気に入っているお店だ。



その辺りはローカル食堂の激戦区で、店先にインド人たちが「おれの客だ!」と言い合うように大声で客引きをしている。
僕はその中でいつもの店以外行ったことはないのだが、きっと全部美味しいんだろうと勝手に思っている。


他のお店の客引きにも目配せをしたあと、いつも通りいつもの店に入っていく。
そのときの他店の客引きのガッカリした様子などは、見ていてとても可愛らしい。


それを見る度にインド人は本当に感情に素直な人たちだな、と思ってしまう。
こういったところが僕がインドを好きな理由のひとつでもある。




席に座り、“Non Spicy”の合い言葉と共に注文を済ませ、料理が出来上がるのを待つ。



その間も、そのサングラスを貸してくれというひと言から大撮影会がはじまった。
ひとつのサングラスを群がったインド人ひとりひとりが順番で回していく。


その度に、自分の携帯を誰かひとりに渡し撮影を依頼する。
それを皆で笑い合いながらずっとやっているのだ。


なんとも楽しそうなインド人たちを見て料理が出来上がるまでの間も全く退屈しない。ローカル食堂にはこんな面白さもある。



そして、カレーが出てくると僕らはチャパティを何枚もおかわりをしながら、最後まで綺麗に食べ尽くした。



サングラスを回収し、会計を済ませ、僕らは店を後にした。



メインバザールを歩いている中で、映画でも観ようかという話になり、映画館へと向かった。
チケットカウンターで次の映画が始まる時間を訪ねると、あと1時間もない内に始まるという。
僕らはチケットを買い、適当に時間を潰しながら映画の開始を待った。



開演時刻に映画館に入ろうとすると、後ろから「インド映画を見るのか!おー嬉しいなぁ」と言いながらひとりのインド人が話しかけてきた。
「わしも隣に座っていいかな?」と言うので、「もちろん」と言い3人で横並びで座った。



映画館のソファーはガタガタで、前の座席などは今にも全て外れてしまいそうなくらいボロボロだった。



間もなく映画は始まったが、もちろん全編ヒンドゥー語。
台詞などは聞き取れるはずもないが、ストーリーはなんとなく見ていれば分かる。



だが、映画館の入り口から一緒になったインド人が丁寧にも解説を入れてくれた。
新しく登場人物が出てくる度に、「これは悪者だ」とか「これは悪者の親父だ」などの解説が付く。



そのインド人の解説は有り難いのだが、問題なのが英語がひどく聞き取りにくいことだ。
発音も文法もめちゃくちゃで、相づちを打つだけで疲れてしまう程。
インド人の聞き取りにくすぎる解説の理解と、構わず進行し続ける映画の理解を両方こなせるようになるまでだいぶ時間がかかった。
というか、1時間ほどすると説明することが少なくなってきたようで解説量が圧倒的に少なくなっただけなのだが。



インターバルを挟み、3時間ほど経つと映画は終わった。
めちゃくちゃなストリー展開と、合間合間に入るダンスシーンは、オモシロイというかオカシイといった感じだったが、僕としては満足の3時間だった。



この日観た映画をひと言でジャンル訳するならば、“ラブアクションダンスコメディ”と言ったところだろうか。



上映中タバコを吸っている人がいたり、歓声が上がったり、前の座席に足を投げ出してることで言い合いになったりと、スクリーン外も騒がしい映画だった。



僕らは、3時間の解説を付けてくれたインド人に別れを告げ、再び宿へと戻った。
その日はもうすっかり遅い時間になっていたので、夕食を済ませると睡魔に襲われ、またしてもシャワーも浴びずにそのままの格好で眠りに落ちていた。



翌朝、チェックアウト時間ギリギリに目覚めた僕らは、大慌てでシャワーを浴び、パッキングを済ませ宿を出た。
今日も移動日なのだ。



18時のバラナシ行きの列車までデリーで時間を潰さなくてはならない。



僕らは1215分の待ち合わせに向けてメインバザールへと歩き出した。
1年半前にバラナシで出逢ったエコという女の子が、デリーでインターンをしているとのことで、休日と僕らのデリー滞在がちょうど一致したので、お昼を共にすることになったのだ。



僕とエコは共に東京の大学生だったが、東京で会うこともなく1年半が過ぎた。
だが、こうして再びインドで再会することが出来る。
出逢いとは不思議なもので、同時にやはり素晴らしいものなのだ。



お昼ご飯とそのあともカフェにて話し続け、結局4時間程一緒に過ごした。
また日本で、と約束をしてエコとは別れ、僕らは昨日と同じカレー屋で少し早めの夕食を済ませ、バラナシ行きの列車へと乗り込んだ。





さぁ、次はバラナシだ。